事件現場のような部屋
注意 ここから先は生々しい描写もあるので、気分を害されるかもしれません。読んでくださる方はご注意ください
世の中が21世紀になったばかりの2001年1月12日。私は友達と買い物に出かけていました。すでに生理が1ヵ月近く続いていましたが、どうしても買い物がしたかったので、出かけました。今となってはなんでそんな状態で行くかなーと思うのですが。。。
買い物中、だんだんと血液の量が増えてきて、何度もナプキン(夜用)交換をしなければならない状態になっていました。さすがに買い物をしている場合じゃないかも?と思い、夕方に帰宅しました。
帰宅後すぐに仮眠をとるためベッドに入りました。1時間しないうちに替えたばかりの夜用ナプキン(37cm)は溢れてしまいました。はずしたナプキンを縦に持つと、吸いきれずにポタポタと血液が垂れてきてしまうのです。蛇口をひねったような出血の仕方で、その後も1時間毎に交換しました。
明け方にはもうトイレに起き上がることができなくなり、しばらくして目が覚めた時はお昼の13時すぎ。お尻のあたりにとても嫌な違和感を感じましたが、起き上がることはできません。無意識にベッド頭上の子機に手を伸ばし、母の職場に電話をかけ、救急車を呼んでほしいと頼みました。
救急隊員の方が2階の部屋まで来てくれて、バジャマのままの私をおぶって降りてくれました。救急車が出発し、このあとようやく本当の病気が見つかることになります。
あとで聞いたのですが、両親ともに職場から病院へ直行してしまったため、パジャマなどは親戚のおばさんが私の部屋に寄って届けてくれたそうです。そのときおばさんが母に「殺傷事件が起きたような部屋だった。ベッドも血だまり、床には血で這った痕があって」と言っていたそうです。必死に部屋⇔トイレの往復をしていたからですね。
搬送先では手に負えない状態・・・
救急車は私の住む自治体で割と大きい総合病院に運んでくれました。
車内ではいくつか質問をされました。まだ頭はハッキリしていて、自分で答えていた記憶があります。
搬送先の病院では婦人科に運ばれ内診へ。先生はいろいろ調べてくれましたが、当然婦人科的には異常がありません。血をダラダラ流していく中でなすすべがなく、大学病院へ転送となりました。
内診台に自力で座るよう促され、結局意識を失う
大学病院へ着くとまた婦人科に運ばれました。そうしてまた内診をすると言います。もう何時間それなりの量の血を流し続けているのかわかりません。ふらふらです。それなのに、先生は内診台に自分で乗るように言うのです。
半ばキレながら最後の力を振り絞って内診台に乗りましたが、案の定、意識が遠のいていきました。先生や看護師さんが名前を呼んでいるのが聞こえましたが、正直どうでもよかったです。母大丈夫かな?は思いましたが、そこからは意識がありません。
たまに声とか部屋の中が見えるとか、一瞬戻ったりしていました。
Dr.「取れない!もう血管が×××」
Dr.「○○分経った。もう止まらないからやめよう」
こんな声が聞こえて、2番目の会話は血液凝固の検査をしていたそうです。耳たぶをちょっとプチっと刺して、血がどれくらいで固まってくるかを調べる検査で通常2~5分で止まるそうですが、いつまで経っても止まらないので止血されました。
月給15万円が4000円に?
結局私は出血によるプレショックを起こしており、集中治療室のようなところで、緊急に輸血をすることになりました。テレビで見たことのある赤いやつのほかに、黄色い透明のものもぶら下がっていました。これは血小板のみのものだったそうです。
血液検査の結果、ほとんどの成分が基準値を大きく下回り、血小板に至っては正常値15~37万/μLのところ【0.4万/μL】だったそうです。先生たちはすごい数字なんだと言っていましたが、私にはピンと来ず。で、月給に換算してみたら納得しました^^
それから早急に病院では過去の血液データを集めていました。で、高校がデータを保管してくれていたようで、高1(15歳)のときですでに血小板は2万/μLだったそうです。貧血だ貧血だと言われてきましたが、根本はそこじゃなかったんですね。周りの大人も『血小板が少ない』ところには目がいきませんよね。
ようやく診断がついた
血液検査以外にも、CT撮影、骨髄穿刺、エコー等々様々な検査をおこないました。診断は『血小板減少性紫斑病+溶血性貧血=EVANS症候群』というものでした。診断がついたので、いよいよ治療が始まります。そして【治療&副作用・医療費との闘い】が始まります。